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ヨガと経済

ヨガの目的はモクシャ(解脱)に達すること。


輪廻からの解放。


え?私ヨガのポーズとってるけど、そんな目的なんてないですー。


瞑想だけで充実してますー。


という方がほとんどですよね。


うんうん、それでいいです。それがいいかもです。


でもヨガがなんか好き、私に合ってる、いい感じなんだよね、と思う人がやっていますよね。


現代人向けに現代風にヨガをもっとマイルドに解釈すれば、


人生における解放、とも言えます。


どちらにせよ、どんな人も、自己実現のためにヨガを行じているのでしょう。



解脱。これは哲学的体系の中での話です。


いつもは科学的側面の論文をご紹介していますが、


珍しく文系の面白い論文が目に入ってきました。



「個人と企業の社会的責任に言及した、ヨギーのアルタとダーナの原則」




「アルタ」は富

「ダーナ」は慈善活動


この論文はカウティリヤの「アルタシャースートラ」という、哲学的概念である「アルタ」のあらゆる意味を網羅し、


最も広範な構造的考察を提示している経典を軸に書かれています。


(ただ、この「アルタシャーストラ」の写本の数や、この論文のインパクトファクターに関しては

今回重きを置いておりません。

シンプルに面白い視点で書かれた論文としてご紹介します。)



ポーズをとるだけがヨガじゃないのなら、


ヨガってなんだろう。


何を教えてくれているんだろう。


ヨガの哲学って難しそう。


DSGsとか何となく興味あるけど。


お金って大切だよね。



そう思った方は、ぜひ、この論文を読んでみてください。


この論文は、経典を紐解きながら最初にこう書かれています。



「ヴェーダや哲学の伝統は、富の賢い使い方、つまり自己改善、経済的な騒ぎ、慈善事業(Dāna)を提唱しています。」



「アルタシャースートラは、『Ṛgveda』からヒントを得ています。統治と行政について最も早く、かつ最も包括的に説明されています。」



「アルタシャースートラは、主に経済と政治に関する事柄を扱っています。

しかし、人が求めていると思われるものは、

人が望むべきもの(望ましいもの)ではないかもしれません。

求めるものが目的であるならば、アルタはそのための手段に過ぎません。」



サンスクリット語あるあるですが、アルタは多面的概念を持ち、人によって解釈が変わったりします。


「意味」「富」「物質」「目的」などと訳されますが


ここでいうアルタ(富)とは、財のことをさしています。



私がこのブログのタイトルを、あえて「富」ではなく「経済」と書いたのには理由があって


私たちは貨幣経済という仕組みの中で生活を営んでいるからです。


この経済の安定を図るには、ヨガ哲学の視点からすると


富の賢い使い方、理解が必要なようです。


論文の中身を一部抜粋すると




「社会や個人のレベルで豊かさや安全が確保されていないと、倫理に従ったり、欲望を満たしたりすることが難しくなります。


苦難は悪や嫌悪を生み、豊かさは徳や愛を生む。ヴェーダや哲学の伝統は、富の賢い使い方、つまり自己改善、経済的な騒ぎ、慈善事業(Dāna)を提唱しています。」




「アルタの目的は、奔放な富の欲望とは無縁で、むしろ必要な分だけ稼ぐことを指しています。

アルタ(富)はこの世に存在するための基本的な条件であり、目的ではありません。


人は精神的に生きる前に、まず肉体的に生きなければなりません。そのためには、ある程度の経済的な成功が必要です。


貧困は霊性の敵であり、世界の多くの苦悩の根源となります。貧困は人に罪を犯させ、霊的に進歩することを妨げます。


その結果、人は家族を養い、家を維持し、合理的な生活水準を提供するために十分なお金を稼がなければなりません。


アルタを達成するために、人は国家と社会に調和のとれた秩序を確立し、各々が進歩的に人生を送ることができるように自分の責任を果たす必要があります。


カウティリャは、ダルマ(義務)を、アルタの獲得を意義あるものにするために、すべての人々の目標と定義しています。


今日のアルタの考え方は、その究極の調整役であるダルマ(義務)が欠落しているように見えます。」



「ヨガでは、欲望と美徳のバランスをとるために、Aparigraha(ためないこと)とAsteya(盗まないこと)の規律を定めています。


人間には普遍的なダルマ(義務)という美徳があります。徳とは、同胞への思いやりを育むことであり、昆虫や動物など、すべての生き物と共有し、共存することを意味する個人の社会的責任(ISR)です。


ISRが生き方になれば、企業の社会的責任がその本質として発生することになります。自然は "Idam-na-mama"(これは私のものではなく、集団の幸福のためにある)の原則に従っています。海、太陽、星、月、風、木などは、自分のためではなく、他の人の幸福のために機能を果たしているのです。」



「今日の複雑で競争の激しい環境において、ヤマとニヤマのような美徳を十分にかつ誠実に実践すれば、マハーブラタ、すなわち時間、場所、状況を超越した途方もないコミットメントになります。さらに、その人の環境全体がこれらの価値観で満たされるようになるのです。」



「自他の幸福は倫理的な行動によって達成され、それは繁栄や資源によって可能になります。これは、富や金銭を獲得し、それを公平に分配することで、自他の幸福を実現することを目指すという意味も含んでいます。


このような富の創造も倫理的に行わなければならず、それだけで完全な充足につながるからです。」



「アパーリグラハとは、ためないことです。必要性と欲のバランスをとることが大切です。神は、人の必要を満たすためにすべてのものを用意したが、人の欲のためには用意しなかったということわざがあります。

必要性と快適性に追加されるお金は、確かに私のものではなく、社会の向上のために使用されるべきです。これは、個人の社会的責任(ISR)として組み込まれるべきであり、企業の社会的責任(CSR)への道を開くものです。」



個人や企業の社会的責任について考えるとき、


必ず経済がセットになります。


経済学者や社会学者の方は哲学という道を必ず通ります。


欲をバランスよく肯定し、富を得ることだけを目的とぜず、執着せず、


財を成し得ても見返りを求めず還元してゆく。


ポーズ以外にもヨガはやること、学ぶことがたくさんありますね。





以下画像は論文より引用


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