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直感と論理、主観と客観

哲学的思索の続きです。

いきなりで意味がわからないけれどご興味ある方は、前回、前々回など過去のブログを

読んで見てください。

「ロゴスとレンマの違い」

例えば、目をつむって手を伸ばします。

手のひらには何か物体が置かれます。

触感から脳へ、それが何かという探究を始めます。

手の指先や手のひらの感触を頼りに。

ロゴス知性が働くと

・硬い

・重量感がある

・人工物のようだ

・プラスチックのような感触

・冷たい

という具合に、自分の知り得る事実を言語化して並べます。

これらは個別に並べられます。

肯定と否定に分けられるもの。

どの人にとっても事実であるもの。

一方で

レンマ知性が働くと

・怖い

・不気味

・不安

・ぞくっとする

・大切なもの

など、直感で瞬時に感じます。

これらは全てで1つの情報であり、

肯定でも否定でもないものが含まれます。

感じ方は人それぞれなので、全ての人にとって事実ではない。

どちらも、そこから

「携帯電話ではないか」という結論に至ります。

結論に至る道が少し違う。

どちらも大切な知性です。

特に脳が進化した人間にとっては、直感よりも事実が

複雑な社会や事象や物事を説明しやすく

言語化することで共通理解ができるから

他者にもわかりやすい。

面白いのは、

ロゴス知性は客観的で

レンマ知性は主観的と思われやすいことです。

AはBである または AはBではない

ということで結論づけることは、

人間の思想や知性の幅を狭めることになります。

そしてこれを無視することも

想像や妄想の世界に入りやすく

知性の幅を狭めてしまう。

AかもしれないしBかもしれない。

AでもBでもないかもしれない。

この直感はある意味客観性も帯びています。

なぜなら、AもBも人間が言語で名前をつけて

その存在を意味付けしただけであり

A、Bともその本体そのものの説明は

誰にもできないから。

私は「新倉美代子」という名前があります。

名前がなかったら、私という存在をどう説明しましょう。

身長?年齢?性別?出身地?

〇〇の奥さん、△△の娘

など、私を取り巻く環境の説明で

私だと判断できます。

どれも人間が言語化した事実を並べただけです。

では、それら外的要因も知らない人にとったら

新倉美代子という人物は一体誰なのでしょう。

母親という存在を言葉で説明しきれますか。

できないこと、たくさんあるでしょう。

それも含めて全てで母親なのです。

外見が母親にそっくりでも、中身が別人であったら

母親ではないと気がつくでしょう。

でもそれを他人に説明するのは難しい。

直感で感じているものは

目には見えなくても

確かに存在するものです。

そしてそれらは互いに依存して繋がりあっている。

みなさんも、ご自身とは誰なのか。

ちょっと考えて見てください。

ご家族と説明しあいしてみても面白いかもしれません。

説明には言語が必要ですが。。。

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