top of page

もう1つの社会であっても

インターネットで一番恩恵を受けていると思えるのは、

①世界中の講義が受けられること

②音楽が聴けること

③地図が見られること

④遠くの友人と連絡(データの共有なども)が取りやすくなったこと

⑤買い物が便利になったこと

⑥コンテンツを利用して調査しやすくなったこと

ーーーーーーーーーーーーーーーー

インターネットの利用が当たり前になり、その利用方法も拡大していく中で

SNSでの炎上や、利用モラルについて、娘と話をした時に気がついたことを書きます。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

私は一定の距離を持ってを利用しているけれど、

特に若い世代は、PC やスマホの向こう側を、

きちんと「社会」と認識してしていて、

そしてそれはより身近な世界であるということでした。

私の場合は、一方通行のみの利用が多く、情報は自分で噛み砕いて終わりにしますが、

現代はもはや両方行での利用が多い。

つまり

学校に行くと、同じ空間に、気が合う合わないは関係なく

同じクラス、部活、学年、学校という「社会」に属します。

ネットでは、同じ趣味、仕事、何らかの共通点を持った人たちが

同じコンテンツ利用して意見や知識やテクニックなどの情報をシェアしあう時代。

それは1つの「社会」になっているということです。

社会には社会のモラルやルールが必要になりますが

ここが多種多様なまま、テクノロジーばかり進化しているから

社会問題が肥大化しています。

SNSでは、情報を発信していることに対して、意見を言う必要のない場面であっても

意見を投げることが可能です。

個人のSNSアカウントに誹謗中傷が載ることも多いでしょう。

他人や企業が作ったコンテンツを利用して、個人の情報を世界へ向けて発信するのであれば

ネガティブな視線にも晒される覚悟が必要です。

それが嫌なら利用しないという選択もあります。

私なら、利用しないを選択すると言ったら、

娘から、悪口を書き込むという行為と、利用する選択は別だと言われました。

例えば、店舗を借りて花屋を開いて、そこに花を並べているのに、

店にいきなり「汚い」「センスがない」などの張り紙をされている感覚と同じなのかな。

私の意見は、そんな嫌がらせをされるなら、そこから店を撤退させればいいという発想に近いのかもしれません。

なるほどなるほど。

私のインスタグラムにはあまりフォロワーがいないですし

Twitterなんてほぼいないのは

自分がシェアしようと思ったものを気まぐれに一方的に載せていて

実はあまり他の人のは見ていないからかな。

見ていないと言うより、今日もみんな元気だなと分かればそれでいい、と言う感覚で利用しているので

誰かの投稿に関して、善悪の判断をするのではなく、ただ見てほっこりしているだけ。

そして自分が見てちょっと違和感を感じるモノはシンプルに見ないようにしています。

知りたい情報は、SNSよりもHPや本などでダイレクトに調べています。

そう考えると、私はまだSNSを「社会」として認識している感覚が低いとあらためて思いました。

これはちょっと危険ですね。

ただ、このリアルな世界でも、ネットの世界でも

ルールやモラルは同じだと思います。

ヨガの聖典にも書かれていますが

私たちは、「人」として、暴力を振るわない、嘘をつかない、他人を傷つけないなどの

守るべき大切なことを

いつでも、どんな場面でも守っていく「責任」を果たすことが大切です。

シンプルに、自分がされて嫌なことはしない。

それでも私たちは時に間違えるし、失敗もします。

何が正しいかわからなくなったら、自分がされたらどう感じるか想像してみる。

人が集まれば、必ず歪みが生まれて、息苦しい場面にぶつかります。

その時に、よりみんなが居心地の良い場所作りをしていく必要がある。

他人に望むことを自分が行動し、他人に望まないことは自分もしない。

それを意識して行動することが新しい社会にいるみんなの役割なのかと思います。

利用者がネット社会の一員という自覚、または覚悟が必要な時代ですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Track NameArtist Name
00:00 / 01:04
bottom of page